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「戦争レクイエム」について脳科学者の茂木健一郎さん、今年、ふれあいコンサート2で演奏して下さる小菅優さんらがコメントをくださいました。
脳科学者 茂木健一郎
二十世紀は、戦争の世紀だった。人間が争うために使う道具も進化し、そのことが多くの災厄をもたらした。人間は、未だに地球上の生命を絶滅に追い込みかねない兵器を持ち続けている。
いったい、私たちの愚かさは何に起因するのか。現代の文明は、人類をどこに連れていこうとするのか? このような大きな問いに答える上で、芸術は力を与えてくれる。 ブリテンの『戦争レクイエム』は、二十世紀の人類の戦争経験を普遍化する。ヨーロッパにおける歴史的言語であるラテン語のミサと、第一次世界大戦中に書かれたイギリスの詩人、ウィルフレッド・オーウェンの言葉が渾然一体となり、とかく自分たちのことを特別だと思いがちな現代人の経験を、私たちの祖先の、そして子どもたちの歓び、哀しみと結びつけてくれる。 時を超えた経験の普遍化を誘うのが、ブリテンの素晴らしい音楽。人は、感動を通してこそ、真実そのものに接触することができるのだ。 ピアニスト 小菅優 「天使のコーラス、DiesIraeの重圧な金管楽器、戦士のテノールとバリトン、オーケストラ2つの響き、最後の祈り・・・このなかなかライヴで聴けない曲を小澤先生の指揮でサイトウキネン・オーケストラで聴けるなんて私もとても楽しみです。私と同世代の戦争を経験してない人たちも、このようなコンサートの体験で必ず心を動かされるものがあると思います。皆さん一緒に行きましょう!
日本経済新聞文化部 池田卓夫
「初めて実演で聴いたのは意外に遅く、当時の西ドイツで働いていた時代、1989年のフランクフルトのアルテ・オーパー(旧歌劇場)でした。市立オペラの音楽総監督を務めていたガリー・ベルティーニさんが指揮、英国人テノールのフィリップ・ラングリッジさんらが独唱した記憶ももちろん残っているのですが、何より鮮明に覚えているのは、合唱団の素晴らしさです。その年のアルテ・オーパーの夏の音楽祭は世界各地の合唱団を招き、『人と人(メンシュ・ウント・メンシュ)』をテーマとする様々の演奏会を企画しました。『戦争レクイエム』の舞台にはゲストが勢ぞろい、アフリカの鮮やかな色彩の民族衣装に身を包んだ褐色の大人もいれば、冷戦崩壊前夜のバルト3国のどこかから来た真っ白な肌の少年合唱団もいて、全員が心をひとつにして歌う姿が何よりも、作品の精神にふさわしいと思えたのです。前後して同じブリテンのオペラ、『真夏の夜の夢』を市立劇場の舞台にかけたベルティーニさんの指揮はクールでモダン、それなのに深いところから湧き出るヒューマンな感動で一貫しており、感心しました。マエストロの国、イスラエルは今も戦火の絶えないところだし、平和を願う気持ちは人一倍強かった方です。そこにまだ東西や南北、いくつもの壁を乗り越えて集まった合唱団が加わったのですから、ホール全体が大きな感動を超え、切実な祈りで満たされました。フランクフルト歌劇場の職はその後すぐ、辞めてしまわれましたが、後に東京都交響楽団の音楽監督となられ、日本での生涯最後の演奏会までお付き合いできたのは幸せでした。いつも『イッケーダ・サーン!』と不思議なアクセントで、私に声をかけて下さったマエストロの思い出の中で、ひときわ心に残る演奏が最後のマーラー(交響曲第9番)と、この『戦争レクイエム』だったように思います。あれから20年経ったのに、世界ではまだ、戦争が続いているのが残念です。今年の夏、小澤征爾さんの指揮で再び『戦争レクイエム』を体験し、平和への思いを新たにしようと考えています。
「モーストリー・クラシック」編集部 平末広
8月の日本は、第2次大戦の記憶を蘇らせ、戦争いうものをいろいろな角度から考える月である。広島と長崎に原子爆弾が投下され、15日に終戦を迎える。
戦争と人間の残虐な行為を繰り返さない、そしてその記憶を風化させることのないように様々なメディアなどを通して警鐘を常に鳴らし続けている。 その8月に松本で始まる、今年のサイトウ・キネン・フェスティバルで総監督を務める小澤征爾の指揮によって演奏されるのが、ブリテンの「戦争レクイエム」である。 この作品は、戦争という人間同士の殺し合いを憎み、自ら「良心的兵役拒否者」の申請を行い、兵役を免除されるなど、平和を求め続けていたブリテンが、戦後に世界中に送った反戦のメッセージである。 この作品も単に「死者を弔う」という意味でのレクイエムというのではなく、生きるものに対してもその残虐さを音楽で伝え、聴き終わってからは、この曲を演奏することができる平和な環境に自分が身を置いていることに感動するということも感じさせる音楽史史上例を見ない作品だ。 今年は、ドイツ軍が1939年9月にポーランドへ侵攻、第2次大戦が開戦、70年目を迎える。 その節目の年の演奏になるが、小澤が「日本で演奏したのは、あの一度きり」という、1985年は終戦後40年。このときは東京と広島で一度ずつ演奏されているが、それから今年で約四半世紀が経った。 しかし、その場に居合わせた私は、25年の時を越えて、いまだに曲の「タイトル」を聞いただけで、その日に演奏を聴きながら、一度も経験したはずのない戦場の陰鬱とした諦観を帯びた空気感が蘇ってくる。 その後もいくつかの演奏を実際に聴き、20世紀の名作の一つであるこの曲の真価を示すようなすばらしい録音も出てきたが、その特別な気分になることはなかった。 それは、この日の演奏においては、歌詞と音楽が信じがたいほどの合一を見せて、ブリテンのいわんとしていることが的確に聴き手に届いたということがもっとも大きな要因なのではないかと思う。この曲は、舞台には2群のオーケストラが置かれ、他のレクイエムと同じように典礼文によって、ソプラノ独唱と合唱による部分が演奏されるが、それぞれ曲の後半では、イギリスの戦争詩人ウィルフレッド・オゥエンによる詩をテキストとした曲が、テノールとバリトンによって歌われる。 僕の記憶に残り続けているのは、終曲の「リベラ・メ(聖なるかな)」の後半で、「僕は戦闘から、脱出して・・」と歌われる部分。 オゥエンの詩では「不思議な遭遇」あるいは「奇妙な出会い」と呼ばれているテキストに曲がつけられている。 いま、まさに戦争の犠牲になった男が、屍が集まっているところで、断ち切られた希望や語られることはない真実である「戦争の哀れ、それが醸し出す哀れについて」、自分を殺した敵を含めた死者たちと語り合う。もうそこには敵も味方もない。大儀もない、ただ生存を賭けて自分の命を奪うべく「敵」を殺す。もっとも悲惨な情景がそこにリアリティを持って現れるのだ。 それ以来、様々な戦争レクイエムを劇場で、CDでそして、DVDで何度か見る機会を得たが、演奏自体はすばらしくともこの戦場のリアリティを感じさせてくれるものはなかった。 それは、何だったのか?本当はさまざまの要因が重なってのことなのだろうが、ひとつ思い当たるのは、この演奏会で小澤が用いていた日本語訳の詩。この時期は演奏会字幕がなく、歌詞の意味と音楽を同期させるために日本語訳詩を使っていた。 それと演奏のすばらしさが相乗して、さらに生演奏の迫力とともに、「ブリテンが本当に表現したいことが」聴いている僕の感性になだれ込んできたのではないだろうか。 小澤自身も「あの曲は、歌詞と音楽が一緒になると、すごくなまなましい。死んだ人同士が会話する、他にはない曲」と、述べている。 この7月に中元初美訳による「ウィルフレッド・オゥエン戦争詩集」が刊行された。そこには55の詩が収められ、「戦争レクイエム」のテキストになったものは全て含まれている。 第1次大戦に従軍し、戦闘を体験した、その場で綴られた詩は、戦場を冷徹に見つめている。 その私的な感情が抑えられた詩は、そこに付けられたブリテンの曲を経て、我々の五感に立体的、あるいは直接的に訴えてくる。そこには「ねじの回転」や「カーリューリバー」をはじめ、死者に対する特別なまなざしを向けていたブリテンの作品に通底する独特な感覚をも感じ取ることができ、「レクイエム」によって、現代の戦争を追憶の彼方に追いやってしまうのではなく、常に我々のそばにあるものとして、聴くものに生々しく提示する。 戦後64年を経て、従軍した人々からは、これまであまり語られなかった戦争の日常が語られはじめている。戦争における国民の記憶について常に問題を投げかけ、「奇妙な出会い」を自ら翻訳もしている社会学者の鶴見俊輔の著作、そして、この7月に上梓された梯久美子の「昭和二十年夏、僕は兵士だった」など、戦争というものをより身近な視点で「厭むべきもの」として、我々の目に触れるようになってきたが、そういったことをいち早く僕自身に知らしめてくれたのが、85年の小澤指揮の「戦争レクイエム」で、その体験は「音楽の持つ不思議な力」を僕自身に教えてくれたのだ。 今回の上演は、原語上演だが字幕が出るというから、音楽とテキストをシンクロさせながらの体験が可能となるのだ。 小澤が最初に聴いたというブリテン自身の指揮、そこに導いたブリテンの親友であり、作曲家の偉大さを世界に認識させた一人であるロストロポーヴィチもすでにこの世にない。25年を経て、また多くの思い出が加わったこの曲を、小澤がどのように指揮するのか。 前掲した詩集の帯には、訳者によって、ピカソの「ゲルニカ」に拠って、言葉の「ゲルニカ」とオゥエンの詩を位置づけているが、ということならば、このブリテンの「戦争レクイエム」は、音楽の「ゲルニカ」とういうことになろうか。 この曲が演奏される平和を享受しながら、近年、深みが加わってきた小澤の演奏が、25年を経て何を我々に語りかけてくれるのか、期待したい。 |