2005 プログラム
シェーンベルク:グレの歌(セミ・ステージ) Shoenberg : Gurrelieder(semi-staged)
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出演者プロフィール

小澤征爾
トマス・モーザー
クリスティン・ブリュワー
ミシェル・デ・ヤング
ジョン・マーク・エインズリー
フランツ・グレントヘーバー
東京オペラシンガーズ

小澤征爾 (指揮)
小澤征爾1935年、中国のシャンヤン(旧奉天)に生まれた小澤征爾は、幼いころからピアノを学び、成城学園中学校を経て、桐朋学園で齋藤秀雄に指揮を学んだ。

1959年秋、フランスのブザンソンで行われたオーケストラ指揮者国際コンクールで第1位を獲得。当時ボストン響の音楽監督であり、このコンクールの審査員であったシャルル・ミュンシュに翌夏タングルウッドに招かれ、そこで小澤征爾はバークシャー・ミュージック・センターの最高位賞、優秀な学生指揮者に贈られるクーセヴィツキー賞を獲得した。

西ベルリンでヘルベルト・フォン・カラヤンに師事していた小澤征爾は、レナード・バーンスタインの目にとまり、1961/62年のシーズンには、ニューヨーク・フィルの副指揮者を務めた。その後1964年の夏から5年にわたる夏の間、シカゴ交響楽団のラヴィニア・フェスティバルの音楽監督、トロント交響楽団では4シーズンにわたって音楽監督を務めた。タングルウッドで4年間にわたって毎年夏、ボストン響を指揮した後、1968年1月シンフォニー・ホールではじめて同交響楽団を指揮した。1970年タングルウッド音楽祭の芸術監督に就任、その年の12月サンフランシスコ交響楽団の指揮者・音楽監督の地位につき活動を始めた。1973年ボストン交響楽団の第13代音楽監督に就任、1976年春にはサンフランシスコのポストを退いたが、1976/77年のシーズンからサンフランシスコ響の音楽アドヴァイザーの地位についた。

2001/2002シーズンまで、アメリカのオーケストラ史上でも異例の29年という長期にわたってボストン響の音楽監督を務め、アメリカ国内はもとよりオーケストラの評価を国際的に高め、世界最高のオーケストラのひとつとの評価を確立した。

2002年秋には、ウィーン国立歌劇場の音楽監督の役に就いている。それに先駆けて行われた、2002年元日のニューイヤー・コンサートでは、日本人として初めて指揮台に登場、その模様は世界65か国に中継され、各方面から高評を博した。また、異例の速さでリリースされたライブ録音のCDは、歴史的な売上を記録、第16回日本ゴールドディスク大賞クラシック・オブ・ザ・イヤーを受賞したほか、本国オーストリアでもプラチナディスク賞を受賞するなど、社会現象にもなった。2004年10月には、ウィーン国立歌劇場日本公演にて、モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」「フィガロの結婚」を指揮し、聴衆を沸かせた。

1978年には、中国政府の公式招待により、北京中央楽団と1週間にわたって活動したのをはじめ、1年後の1979年3月にはボストン交響楽団を率いて再度訪中し、演奏活動に加えて、中国音楽人の指導・学習、並びに討論会など、意義深い音楽・文化交流を果たした。

小澤征爾はヨーロッパでの評価と人気も絶大なものがあり、ベルリン・フィルなどのオーケストラを定期的に指揮している。また、ウィーン・フィルとはヨーロッパツアー、日本をはじめアジアツアーもしばしば行っている。オペラの方面でも、国立パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座などに出演し好評を博している。1983年12月には、メシアンの唯一のオペラ「アッシジの聖フランチェスコ」を国立パリ・オペラ座で初演し、センセーショナルな話題をさらった。

日本においては、秋山和慶とともに恩師齋藤秀雄を偲んで1984年に開催した齋藤秀雄メモリアルコンサートを基礎にサイトウ・キネン・オーケストラを設立、1987年より正式に活動を開始。そして1992年より、芸術的念願であった国際的音楽祭“サイトウ・キネン・フェスティバル松本”へと発展させ、それ以来毎年大きな注目を集めている。

特に1998年、99年と2年続けてフランス国立パリ・オペラ座とサイトウ・キネン・フェスティバル松本との共同制作を実現させ、98年にはプーランクのオペラ「カルメル会修道女の対話」を上演、99年11月にはパリ・オペラ座でも上演した。99年には、ロベール・ルパージュ演出によりベルリオーズ「ファウストの劫罰」をオペラ化し話題を呼んだ。1999年12月/2000年1月にはマーラーの交響曲第2番「復活」を取り上げ、松本のほか東京で公演を行い絶賛され、その熱狂はライブ・レコーディングにも収められ、日本レコード・アカデミー賞を受賞した。2004年5月には、サイトウ・キネン・オーケストラとともにヨーロッパ6都市(ヴァレンシア、ベルリン、ウィーン、パリ、ロンドン、ミラノ)にて6公演のツアーを行い、成功を収めた。2004年には、まつもと市民芸術館にて、ペーター・ムスバッハ演出、建築家の安藤忠雄が装置デザインを務めたオペラ、ベルク「ヴォツェック」を上演し、話題を呼んだ。

1998年には仏政府よりフランス芸術文化勲章シュヴァリエ章を授与され、2000年には米国ハーバード大学名誉博士号を、また2001年10月にはフランス芸術アカデミー外国人会員に選出され、同年11月には日本で文化功労者に選ばれた。2002年には、オーストリア勲一等十字勲章を授与され、2003年には、毎日芸術賞、サントリー音楽賞を受賞した。2004年3月には、フランス・ソルボンヌ大学(パリ第四大学)より、名誉博士号を授与された。

2000年より、若い音楽家の教育を目的に、小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトを開始。第1回はモーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」、第2回は同「コジ・ファン・トゥッテ」、第3回は同「ドン・ジョヴァンニ」、第4回はJ.シュトラウスII世:喜歌劇「こうもり」、第5回はプッチーニ:歌劇「ラ・ボエーム」を取り上げ、若い音楽家の教育の成果を高く評価された。その他には、創立時より密接な関係にあり、桂冠名誉指揮者の地位にある新日本フィルハーモニー交響楽団と定期的に活動すると共に、水戸室内管弦楽団顧問として、同管弦楽団を指揮している。2003年4月にはパリ・オペラ座との共同オペラ制作として、ラヴェル「スペインの時」/プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」の2本のオペラを横須賀、川口、東京の3か所で上演、好評を博し、2004年3〜4月にも、国立パリ・オペラ座で8回上演された。小澤征爾が音楽監督を務める「東京のオペラの森」は、2005年3月に初めての公演を迎え、R.シュトラウスの「エレクトラ」などを上演した。

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トーマス・モーザー(Tenor)
トーマス・モーザーアメリカ出身のトーマス・モーザーは、リッチモンド・プロフェッショナル・インスティテュート、フィラデルフィアのカーティス音楽院、アカデミー・オブ・ウエスト(カリフォルニア州立大学サンタバーバラ校)にて学び、マーシャル・シンガー、ジェラルド・サウジー、ロッテ・リーマンに師事し、音楽の道をすすんだ。

モーザーのヨーロッパデビューは1975年にオーストリアのグラーツを皮切りに、1977年には、ウィーン国立歌劇場でも舞台を踏み、現在もここに所属する。ウィーン国立歌劇場での彼の主な役どころとしては、タミーノ、ドン・オッタヴィオ、ティト、ルチオ、シラ、イドメネオ、アキレス「オーリードのイフィジェニー」、カプリッチョのフラマン、ヘンリー「無口な女」、などがある。近年では、「フィデリオ」のフロレスタン、「はるかなる響き」のフリッツ、「さまよえるオランダ人」のエリック、「ローエングリン」がある。1988年には、由緒ある宮廷歌手の称号を、ウィーン国立歌劇場から贈られている。

ウィーン以外においてもモーザーは、ミュンヘン、ベルリン、メトロポリタン・オペラ、サン・フランシスコ、コヴェント・ガーデンにレギュラー・ゲスト歌手として舞台に上がっている。パリ・オペラ座では、イドメネオ、ティト、カイザー役で「影のない女」、ピラード役で「タウリードのイフィジェニー」などで登場している。ミラノ・スカラ座のデビューは1985年のタミーノ役で、1990年にはマゼールのタクトのもと、フロレスタン役で、翌年にはムーティ指揮の「ロドイスカ」に Tizikan役で出演している。ザルツブルグ音楽祭においてもレギュラー・ゲストになっているモーザーは、フロレスタン、「エディプス王」、カイザー「影のない女」などをショルティのもとで歌っている。これからの主な出演予定としては、オペラ・バスティーユでの「さまよえるオランダ人」、ミュンヘン・オペラと、スカラ座での「フィデリオ」、ウィーン国立歌劇場での「パルジファル」、ベルリン・ドイツ・オペラと、メトロポリタン・オペラでは「影のない女」などがある。

2002−2003シーズンは、新しいレパートリーとしてモーザーは、ウィーン国立歌劇場の新プロダクションの「トリスタンとイゾルデ」のトリスタンを加え、彼の歌声はD.G.G.レコードより発売される。
これからのオペラ出演予定には、サンフランシスコ・オペラでの新プロダクションによる「トリスタンとイゾルデ」、「モーゼとアロン」をウィーン国立歌劇場が含まれている。

トーマス・モーザーは、オペラ歌手としてだけでなく、名高いソリストとしても活躍する。主なところで、ウィーン楽友協会ホール(ムジークフェライン)、パリ(シャトレ)ミラノ(スカラ座)でのリサイタルを行っている。コンサートレパートリーは、幅広く、主なものだけでも、バッハの受難曲、ベートーヴェン、シューベルト、マーラー、エルガー、ブリテン、フランツ・シュミット、シェーンベルクなどがある。ウィーンでのサー・コリン・デイヴィスとの共演ではベルリオーズの「ファウストの劫罰」と、「ロメオとジュリエット」を歌い、シカゴ響との共演では、バレンボイム指揮のもと、ベートーヴェンの「フィデリオ」を歌った。ケント・ナガノの指揮での「ファウストの劫罰」は、レコーディングされており、G.シノーポリ指揮、シェーンベルクの「グレの歌」と、ビゼーの「カルメン」も同様にCDになっている。モーザーは、これからの予定も含め、アバド、ジュリーニ、メータ、ショルティ、マゼール、アーノンクール、ラインスドルフ、スタイン、マッケラス、バーンスタイン、カラヤン、ティーレマンなど、多数の著名な指揮者と共演している。

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クリスティン・ブリュワー(Soprano)
クリスティン・ブリュワーアメリカ出身のソプラノ歌手、クリスティン・ブリュワーは、その独特の音色とあたたかで、輝くような歌声、また、彼女の年代にはないその震えるような感情豊かさと情熱的な歌唱力でオペラはもとより、コンサートやリサイタルなどでも飛躍的な活躍を見せている。

2004−2005シーズンをBBC交響楽団との共演、ユッカ-ペッカ・サラステ指揮のサーリアホ「4つの瞬間」でスタートさせたブリュワーは、アメリカに飛び、ニューヨーク、クリーヴランドでリサイタルを成功させた。その後、ロサンジェルス・フィルと、ピーター・セラーズとの共演でのセミ・ステージによる「トリスタンとイゾルデ」をエサ・ペッカ・サロネンの指揮で歌った。その他にも、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮のロッテルダム管とは、マーラーの「交響曲第8番」で共演している。ドナルド・ランニクルズのタクトでBBC交響楽団とは、シュトラウスの「3つの賛歌」を歌っている。出身地でもあるセント・ルイスではブリテンの「グロリアナ」を披露することを楽しみにしている。また、サンタフェ・オペラには、「ピーター・グライムズ」のエレン・オーフォード役で帰ってくることが決まっている。

クリスティン・ブリュワーのコンサート活動としては、数々の著名指揮者、クルト・マズア、 ロバート・ショウ、ピエール・ブーレーズ、マイケル・ティルソン・トーマス、クリストフ・フォン・ドフォナーニ、サー・ネヴィル・マリナー、レナード・スラットキン、シャルル・デュトワ などとの共演があげられる。彼らとは、モーツアルトをはじめ、ベートーヴェン、ワーグナー、ヴェルディ、シュトラウス、マーラー、ヤナーチェク、ブリテンなどをレパートリーに演奏している。また、ニューヨーク・フィル、シカゴ交響楽団、ボストン交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、パリ管弦楽団、など、世界の一級のオーケストラとの共演も多い。

また、オペラの方面では、さまざまなレパートリーを持ち、「ナクソス島のアリアドネ」では、そのタイトル・ロールをオペラ・リヨン、パリ;シャトレ、サンタフェ・オペラとイングリッシュ・ナショナル・オペラで熱演し、ジェームス・レーヴィン指揮のもとメトロポリタンオペラにてデビューを飾った。サンタフェ・オペラでは、「エジプトのヘレナ」のタイトル・ロールも歌っている。クリスティン・ブリュワーのオペラ活動の発端となった、セントルイス・オペラには、「ピーター・グライムズ」のエレン・オーフォード役、ハイドンの「アルミーダ」、などで出演している。さらに「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・アンナ役で、コヴェント・ガーデン、ニューヨーク・シティー・オペラ、フロリダ・グランド・オペラ、セントルイス・オペラ、エジンバラ音楽祭などで賞賛を浴びた。

最近は、レオナード・スラットキン指揮・BBC交響楽団とバーバーの「ヴァネッサ」、サー・サイモン・ラトル指揮とマーラーの交響曲第8番などのレコーディングを行っており、ハイペリオンからロジャー・ヴィニョールズとの共演によるシュトラウスのリードをリリースしている。

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ミシェル・デ・ヤング(Mezzo Soprano)
ミシェル・デ・ヤングミシェル・デ・ヤングは、彼女の年代においては、もっとも完成された芸術家の一人となっている。

ミシェル・デ・ヤングは、近年世界の名だたるオーケストラ、ニューヨーク・フィル、ボストン交響楽団、シカゴ交響楽団、クリーヴランド管弦楽団、サン・フランシスコ交響楽団、ロサンジェルス・フィル、ヒューストン交響楽団、ミネソタ管弦楽団、ピッツバーグ交響楽団、アトランタ交響楽団、プエルトリコ交響楽団、BBC交響楽団、フィルハーモニア・オーケストラ、ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ、パリ管弦楽団、バイエルン国立歌劇場オーケストラ、コンセルトヘボウ管弦楽団、ヨーロッパ室内管弦楽団などと共演している。また、ダニエル・バレンボイム、ピエール・ブーレーズ、サー・コリン・デイヴィス、ステファン・ドゥヌーヴ、クリストフ・フォン・ドホナーニ、クリストファー・エッシエンバッハ、ベルナルド・ハイティンク、ジェームス・レヴァイン、ズービン・メータ、小澤征爾、アントニオ・パッパーノ、エサ・ペッカ・サロネン、レオナード・スラットキン、マリス・ジョンソンズ、マイケル・ティルソン・トーマスなどの指揮者とも舞台を同じくしている。

メトロポリタン歌劇場のリンデマン・ヤング・アーティスト・ディベロップメント・プログラムの卒業生であるミシェル・デ・ヤングは、ディド役で、メトロポリタン歌劇場新演出による「トロヤ人」に出演している。ヒューストン・グランド・オペラには「タンホイザー」のヴェーヌス役で、シカゴ・リリック・オペラと、シアトル・オペラには、「トリスタンとイゾルデ」のブランゲーネ役で、グリマーグラス・オペラには「ルクリーシアの凌辱」のタイトル・ロールで、「エディプス王」のヨカスタ役、「ハムレット」のガートルード役ではシャトレ座に、セミ・ステージ形式の「ラインの黄金」と、「ワルキューレ」のフリッカ役では、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール、ロイヤル・オペラ・ハウス、コヴェント・ガーデン、コンセルトヘボウ、並びにバーミンガム・シンフォニー・ホールで舞台に立っている。

リサイタル活動としては、サン・フランシスコ交響楽団の、“Great Performances Series”に名を連ね、バークレイ、ピッツバーグ・シンフォニー、パリのシャトレ、リスボンのグルベンキアン財団、ウェイル・リサイタル・ホール、アリス・トゥ―レイ・ホール、エジンバラ音楽祭、ロンドン.のウィグモア・ホール、ブリュッセル王立モネ劇場などでもその歌声を響かせている。

2004年のグラミー賞、最優秀クラシックアルバム賞は、ミシェル・デ・ヤングも参加した、マイケル・ティルソン・トーマス指揮の、「亡き子をしのぶ歌」と、マーラーの「交響曲第3番」を録音したサン・フランシスコ・シンフォニーのレーベルが受賞している。2001年にも同様に、「トロヤ人」のディド役で歌ったサー・コリン・デイヴィス指揮のロンドン響との共演アルバムが、見事最優秀クラシックアルバム賞を受けている。このように、ミシェル・デ・ヤングのディスコグラフィーは、幅を広げており、バーンスタインの「交響曲第1番」“エレミア”(BBC交響楽団、レオナード・スラットキン指揮)をシャンドスから、サン・フランシスコ交響楽団とは、「嘆きの歌」を、マイケル・ティルソン・トーマスの指揮でBMGレコードからそれぞれCDリリースしている。他にも、ロペス・コボス指揮のシンシナティ・シンフォニーとはマーラーの「交響曲第3番」で(テラーク)、ミネソタ管弦楽団とは「大地の歌」で彼女の歌声を聴くことができる。また、ソロ・アルバムも1999年にEMIよりリリースされている。

今夏バイエルン音楽祭に「パルジファル」のクンドリー役でデビューを飾ったミシェル・デ・ヤングは、今シーズン、メトロポリタン歌劇場に「タンホイザー」のヴェーヌス役で、シカゴ・リリック・オペラには、「指輪」で戻ってくることになっている。コンサート活動としては、ベルリン・フィルハーモニック、ウィーン・フィルハーモニックとの初共演があり、また、シカゴ交響楽団、ピッツバーグ交響楽団との再共演も予定されている。

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ジョン・マーク・エインズリー(Tenor)
ジョン・マーク・エインズリージョン・マーク・エインズリ−は、イギリス・チェシャー州の出身で、オックスフォード大学で音楽を学んだ後、ダイアン・フォリアーノに師事した。

1990年にニューヨークとボストンでコンサートを行い、アメリカ・デビューを飾った。1992年には、ベルリン・フィルと初共演し、1993年には、ウィーンのムジーク・フェラインのデビューを、ペーター・シュライアー指揮の、「マタイ受難曲」と、「ヨハネ受難曲」で飾った。最近では、ハイム 指揮のル・コンセール・ダストレ、ノリントン指揮ロンドン・フィル、クリストファー、サー・コリン・デイヴィス、ロストロポーヴィッチ、プレヴィン指揮のロンドン交響楽団、ミンコフスキー指揮ルーブル宮音楽隊、ウェルザー=メスト指揮クリーヴランド管弦楽団、クレーマー、ハイティンク、ラトルの指揮で、ベルリン・フィル、マズア指揮ニューヨーク・フィル、小澤指揮ボストン交響楽団、テイト、ノリントン指揮のサン・フランシスコ交響楽団、ノリントン指揮ウィーン・フィル、マリナー、ラングレ指揮セント・マーティン・アカデミー管弦楽団、ジュリーニ指揮フィレンツェ5月音楽祭オーケストラ並びにパリ管弦楽団と共演している。

録音も幅広く行っており、フィリップス・クラシックからは、ガーディナー指揮でヘンデルの「サウル」、デイヴィス指揮でブリテンの「真夏の夜の夢」、ハイティンク指揮でストラヴィンスキーの「プルチネルラ」、小澤征爾指揮の「ロ短調ミサ」、「マタイ受難曲」で福音史家役をそれぞれ歌いCDリリースしている。デッカからは、「キリストの幼時」、「アレクサンダーの饗宴」、「アチスとガラテア」、ベルリオーズの「レクイエム」、モンテヴェルディの「オルフェオ」ではタイトル・ロールをCD化している。ハイペリオンからはシューベルト、モーツァルト、パーセル、グレインジャー、ワーロック、クィルター、そして一番最近のヴォーン・ウイリアムス の「ウェンロック エッジ」でナッシュアンサンブルと共演し、グラモフォン・アワードにノミネートされている。EMIでブリテンのチクルス(「テノール、ホルン、弦のためのセレナーデ」、「イリュミナシオン」、「ノクターン」)や、「ブリガードン」のチャーリー、「ドン・ジョヴァンニ」のドン・オッタヴィオを録音している。ドイツ・グラモフォンでは、ヘンデル「復活」、ラモーの「ダルダヌス」(ミンコフスキー指揮)、ブリテンの「春の交響曲」(ガーディナー指揮)、「スペインの時」(プレヴィン指揮)などがある。

オペラ活動としては、デボラ・ワーナー演出、サー・サイモン・ラトル指揮のグラインドボーン音楽祭でのドン・オッタヴィオ、同役を、ペーター・ブルック演出、クラウディオ・アバド指揮でエクサンプロヴァンスにても歌っている。オーストラリア・オペラにおいては、ティトと、イドメネオ役で、またネザーランド・オペラには、ヘンデルの「サムソン」のタイトル・ロールを、サンフランシスコ・オペラではドン・オッタヴィオと、「セメレ」のジュピター役でそれぞれ活躍した。また、ミュンヘン音楽祭では、「サウル」のジョナサンと、「オルフェオ」を歌い、ミュンヘン音楽祭賞の名誉に輝いている。2002年には、マッケラスの指揮で、コヴェント・ガーデン王立歌劇場にドン・オッタヴィオ役でデビューした。昨年のザルツブルグ音楽祭では、世界初演のハンス・ヴェルナー・ヘンツェの「ヤツガラシと息子の愛の勝利」で、デーモン役をこなし、マドリードの再演の舞台にも立っている。ミュンヘンには、「サウル」で戻ることになっており、「アルチ―ナ」の中のオロンテ役を歌う。フランクフルトでは、ブリテンの「カーリュウ・リヴァー」の狂女役で。ベルリンでは、ペレアスに初挑戦する。また、ザルツブルグ音楽祭の演出によるハンス・ヴェルナー・ヘンツェの「ヤツガラシと息子の愛の勝利」で、デーモン役を、ジェノアにて再び歌うことになっている。

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フランツ・グルンドヘーバー(Bass baritone)
フランツ・グルンドヘーバー1966年、ロルフ・リーバーマンに見出されハンブルグ国立歌劇団と契約、現在もゲスト契約が続いている。同劇場の来シーズンのオペラでは、リゴレット、ヤーゴ、ジェルモン、スカルピア、さまよえるオランダ人、オレスト、ロシア皇帝の役柄で出演する。2006年には、新プロダクションで、サイモン・ヤング指揮のもと、「シモン・ボッカネグラ」のタイトルロールを歌う。

ドイツ国内では、ミュンヘン・バイエルン国立歌劇場とドレスデン・ゼンパーオペラ劇場にゲストとして多数出演している。また2005年にはベルリン・ドイツ・オペラでクリスチャン・ティーレマン指揮のもと、バラク、さまよえるオランダ人、シェーン博士、アモナズロの役で登場する予定である。ドレスデンにて、バラク、アムフォルタス、ミュンヘンでオレストとモーゼを歌う。

ハンブルグ国立歌劇場同様、グルントヘーバーの長年にわたる芸術活動の中心となっているウィーン国立歌劇場からは、“宮廷歌手”の称号が贈られている。

ウィーンでは、ヴォツェック、オレスト、カルディヤク、ボロメオ、そして最近の新プロダクションではシェーン博士役で出演している。さらに、リゴレットからヤーゴ、マクベス、アモナズロ、スカルピア、アムフォルタスまでの幅広いレパートリーに加えて、さまよえるオランダ人、クルヴェナル、バラク、マンドリュカ、ヨハナアンなどがある。ウィーン国立歌劇場とは2007年まで契約が結ばれている。ザルツブルグのイースター並びに夏の音楽祭出演について特筆すべきは、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のもと演じたスカルピアと、「ダナエの愛」でのジュピター役であろう。2004年はザルツブルグ音楽祭に8度目の出演となる。

ヨーロッパでは、パリ(ガルニエ宮殿、シャトレ劇場、バスティーユ・オペラ)からバルセロナ、マドリッドとオビエド、アテネ、ローマ、スカラ座とヴェローナ野外劇場(グルントヘーバーが、「アイーダ」のアモナズロ役をここで演じた最初のドイツ人である)、フィレンツェとトリノ、さらにコペンハーゲン、ヘルシンキ、サヴォンリンナ、モスクワ、ブリュッセル、アムステルダムなど、各地で出演している。ロンドンのロイヤルオペラ・コヴェント・ガーデンでは、バラクとリゴレットが好評を博しており、同劇場には2004年にシモン・ボッカネグラ役で再び登場する。2004年11月、ローマ・オペラ座にて、「さまよえるオランダ人」で歌った。

アメリカでは、メトロポリタン・オペラ、シカゴ・リリック・オペラ、ヒューストン・グランド・オペラ、サンフランシスコ・オペラ、ロサンゼルス・オペラにゲスト出演している。彼は1999年及び2001年に、メトロポリタン・オペラでリゴレットを10回歌った最初のドイツ人歌手であり、2004年には再び同じ役柄で同劇場に出演する。

サンチャゴ・デ・チリでの彼のシモン・ボッカネグラ役は、2001年のチリ国際オペラ評論家賞が与えられた。2004年にはスカルピア役で同地に再び登場する。

2002−2003年シーズンには、東京において「パルジファル」のアムフォルタス役で登場、5度目の来日を果たした。2005年3月には、東京のオペラの森「エレクトラ」で再来日を果たした。

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東京オペラシンガーズ
東京オペラシンガーズ1992年、小澤征爾指揮、蜷川幸雄演出で話題を呼んだ「さまよえるオランダ人」の公演に際して、世界的水準のコーラスをという小澤氏の要望により、東京を中心に活躍する中堅、若手の声楽家によって組織された。当公演の合唱は圧倒的な成果を上げ、各方面から絶賛を受けた。

「これだけ水準の高い合唱が聴けるとは驚異であった」・・・鴨原真一氏評

その評価により、同年第1回サイトウ・キネン・フェスティバル松本「エディプス王」、バイエルン国立歌劇場日本公演「さまよえるオランダ人」に招かれ、再び高い評価を得た。

翌93年から活動は本格化し、日本の音楽界において特に注目を集める「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」、「東京フィル・オペラコンチェルタンテ・シリーズ」、「びわ湖ホール・プロデュースオペラ」等を活動の中心に置くほか、ベルリン・コーミッシェ歌劇場、キーロフ・フィル(V.ゲルギエフ指揮)、サンクトペテルブルク・フィル、イタリア国立放送交響楽団等の来日公演、第1回神奈川芸術フェスティバル「素戔鳴(スサノオ)」(團伊玖磨)初演等の公演に合唱のみならず、ソリスト、カバーとしても出演、音楽界の活性化に大きく貢献することとなった。98年には長野冬季オリンピック開会式において、世界6カ国を結ぶ第九合唱で、中心となる日本側の演奏を担当した。99年にはヨーロッパの代表的音楽祭の一つであるエディンバラ音楽祭に出演(東急文化村制作「トゥーランドット」)最大級の賞賛を得た。2000年、01年とウィーン・フィル(小澤征爾、S.ラトル指揮)と共演、当団からも高い評価を得た。

サイトウ・キネン・フェスティバル松本には第1回から本年まで連続して出演、毎年確かな音楽的成果を上げている。

「有能なメンバーを集めると、日本一、世界一の合唱団が、今回のようにたちまち出現するのだ。合唱はほんとうにすばらしかった。」
  (第1回「エディプス王」・・・松本勝男氏評)
「何が最も画期的だったかといえば、オペラシンガーズの面々が素晴らしい動きをしたことであろう。おそらく、日本で上演されたオペラ公演で、これほどにコロスが自在に動き、且つ意味のある演技をし、素敵な歌を聞かせたことはなかったのではないか。
  (第4回「道楽者のなりゆき」・・・実相寺昭雄氏評)
「合唱も、今回はとびきりの出来映えではなかったか。後半に入っても乱れを見せないどころか、二重合唱になる「オサンナ」あたりからさらに響きの美しさが増した。」
  (第9回、ミサ曲ロ短調〜バッハ・・・堀内修氏評)
「村民たちの合唱が事実上の主役で迫力万点でしたが、その合唱と粒ぞろいのソリストの間に裂け目がなく、合唱がみなソリストの様であり、ソリストがみな合唱の一員であるかのように感じられたのは、たいしたものでした。」
  (第11回「ピーター・グライムズ」・・・磯山雅氏評)
「東京オペラシンガーズの合唱はいつもながら見事だし、粒の揃った独唱陣と相まって、歌い上げられた至高の音楽によって満場は感動の嵐に包まれた」
  (第11回、交響曲第九番〜ベートーヴェン・・・佐々木喜久氏評)
「東京オペラシンガーズもますます好調で、大勢の男たちが血眼になって家捜しするシーンなど、板についた演技力で楽しませた。」
  (第12回「ファルスタッフ」・・・関根礼子氏評)

東京オペラシンガーズの特長は、第一に圧倒的とも言える豊かな声量にある。メンバー1人1人がソリストとしても活躍しており、純度の高さと、豊かな音量を兼ね備えた「声」の集合体は、類稀な響きを生み出すことを可能としている。
第二に作品に応じて、より相応しいメンバーで編成される点が上げられる。メンバーにはバロックからロマン派オペラ、そして現代曲にいたるまで、それぞれを得意とする者がおり、出演する作品に適した歌い手により、その都度編成される。

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