| ロバート・マン
(指揮) |
50年以上にわたって、ロバート・マンはアメリカ室内楽界の推進力となってきた。名だたるジュリアード弦楽四重奏団の共同創設者であり、ソリストであり、作曲家および教師でもある。マンはアメリカの室内楽の世界に、新鮮で開放的な冒険と発見の機運をもたらした。ボストン・グローブ紙の評論家リチャード・ダイヤーは、彼を「わが国で最も尊敬され愛される音楽家のひとり」と称賛した。
ジュリアード弦楽四重奏団を1996年から97年のシーズンを最後に引退し、現在は、同四重奏団の第一ヴァイオリニストであったときには、時間的に余裕のなかった作曲およびソロ演奏活動に専念している。
1920年にオレゴン州ポートランドに生まれ、9歳からヴァイオリンを始め、13歳でポートランド交響楽団のコンサートマスターであったエドゥアード・ハーリマンに師事を許された。1938年にニューヨークに渡り、ジュリアード音楽院に入学。ヴァイオリンをエドワード・デシエに、作曲をバーナード・ウェイジナーとスティーヴン・ヴォルペに、指揮をエドガー・シェンクマンにそれぞれ学んだ。1941年には有名なナウムバーグ・コンクールで優勝した。
ジュリアード音楽院の学長ウィリアム・シューマンの勧めで、ロバート・マンは1946年にジュリアード四重奏団を結成し、1997年に引退するまでその第一ヴァイオリニストを務めた。1996年から97年にかけてのシーズンで結成50周年を迎えた同四重奏団は、その間に5,000回のコンサートを開き、600曲におよぶ作品を演奏し、うち75曲は初演であった。また、100曲におよぶ作品をレコーディングしている。
マンはナレーションの背景としてさまざまな楽器を使った30曲におよぶ作品を書き、女優である妻ルーシー・ローワンとともに演奏をおこなっている。そのうち何曲かはミュージカル・ヘリテージ・レーベルで録音された。また、彼が作曲した「管弦楽のための幻想曲」は、ディミトリ・ミトロプーロス指揮によりニューヨーク・フィル、ウィーン・フィル、ザルツブルク音楽祭で演奏された。彼の「ヴァイオリンとピアノのための二重奏曲」は、イツァーク・パールマンとサミュエル・サンダースの共演によりカーネギーホールで初演されている。そして弦楽四重奏曲は、ラ・サール四重奏団およびコンコード弦楽四重奏団によって演奏された。その他、彼の作品としてはジョエル・クロスニックおよびギルバート・カリシュのために書かれたチェロとピアノのための二重奏曲、管弦楽のための協奏曲、2台の独奏ヴィオラと管弦楽のための「ラメント」などがある。 |
| アルティカルテット |
アルティカルテットは、ヴァイオリニストの豊嶋泰嗣と矢部達哉、ヴィオラ奏者川本嘉子とチェリスト上村昇という4人の一流ソリスト達によって1998年に京都で結成された。
アルティの名前は彼らがレジデントカルテットとして活動している京都府立アルティ(Art Live Theater International)ホールの名前に冠している。その活動は京都のみならず日本各地に広がっている。
このカルテットの特徴は、京都のレジデントホールではベートーヴェン弦楽四重奏曲を毎回1曲ずつとり上げており、その他にもモーツァルトやハイドン、ドヴォルジャークの弦楽四重奏曲を重要なレパートリーとしている。曲によって第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが入れ替わるのも大きな特徴で彼らの実力の高さを物語っている。
室内楽の中心的存在である弦楽四重奏を、ソリストとして活躍しながら、まとまりの良い演奏を展開していくのは至難の技だが、4人は一様に安定したテクニックを持ち、緻密さを保った中で自己を主張しており、その音楽の表情にもデリカシーとニュアンスがあふれていて、結成から9年目を迎え、脂ののった日本トップの弦楽四重奏団となった。
コンサートの前には数日間の合宿練習を行ない、お互いに妥協のない音楽づくりを行って、毎回聴衆に多くの感動を与えている。 |
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